Family Academy良い睡眠のためには正しい知識に基づいた習慣と行動が大切です (2023栄冠めざしてFamilyより)
「四当五落」という言葉をご存じでしょうか。かつて、睡眠時間が4時間の受験生は合格できるが5時間以上寝ていると勉強時間が足りず合格できないという意味で使われていました。実際には睡眠や学習の量と質には個人差があるため、そのようなことはなく、いわば昭和の時代の都市伝説です。このように受験生にとって睡眠時間と学習時間のバランスは昔も今も大きな課題の一つです。そこで、『スタンフォード式 最高の睡眠』の著書もある、スタンフォード大学医学部精神科教授、同大学睡眠生体リズム研究所所長の西野精治先生に、睡眠の持つ大切な役割や、今日から実践できる効率よく質の良い睡眠を得るための方法などについてお話をうかがいました。

スタンフォード大学
医学部精神科教授
睡眠生体リズム研究所所長
西
野
精
治
- P R O F I L E
- スタンフォード大学医学部精神科教授、同大学睡眠生体リズム研究所(SCNラボ)所長。医師、医学博士。1955年大阪府出身。1987年、当時在籍していた大阪医科大学大学院からスタンフォード大学医学部精神科睡眠研究所に留学。突然眠りに落ちてしまう過眠症ナルコレプシーの原因究明に全力を注ぎ、その発生メカニズムを突き止めた。2005年にSCNラボの所長に就任。睡眠・覚醒のメカニズムを、分子・遺伝子レベルから個体レベルまでの幅広い視野で研究している。2022年、シフトワーカーのウェルビーイングを高めるために設立されたNovel and Objectiveシフトワーク研究会の会長に就任。著書に、「睡眠負債」の実態と対策を明らかにしベストセラーとなった『スタンフォード式 最高の睡眠』(サンマーク出版)、スタンフォード大学とシリコンバレーでの生活を描いた『スタンフォード式 お金と人材が集まる仕事術』(文藝新書)等がある。
- 所属、役職などはすべて取材時のものです。
近年わかってきた睡眠の役割
記憶の整理と定着、免疫力向上にも関係
睡眠は、かつては蓄積した眠気をとったり体を休めたりするぐらいのものと考えられていましたが、もっと大切な役割を持つことが明らかになっています。睡眠には、ノンレム睡眠(脳も体も眠っている睡眠)とレム睡眠(脳は起きていて体は眠っている睡眠)の2種類があります。1950年代にレム睡眠が発見された後、多くの研究が行われ、レム睡眠中に夢を見ることが多いことや記憶の整理・定着が行われることがわかりました。最近の研究で、ノンレム睡眠とレム睡眠の双方が複雑な過程を経て記憶の定着に関係していることがわかっています。
1960年代には日本の研究者によって、最初の深い睡眠のときに成長ホルモンが分泌されることが発見されました。成長ホルモンは子どもの成長・発育というイメージがありますが、分泌量は減るものの大人でも分泌されており、体の新陳代謝やメンテナンスにかかわっています。さらに、免疫の増強が睡眠中に行われていることもわかってきました。癌になりやすい異型細胞も免疫機構で除去されますので、良い睡眠をとらないと感染症や癌などの病気になりやすいのです。
また、さらに最近、2012年ごろ、睡眠中に脳脊髄液が脳の老廃物を除去する作用を持つことがわかりました。脳は非常に活発な臓器で、勉強や仕事で頭を使うと、脳の中に老廃物が溜まります。老廃物には、排出されないと疾患のリスクを高めるものもあります。もちろん、起きているときにも老廃物の除去は行われていますが、睡眠中は起きているときよりも10倍ぐらい除去作用が強いことがわかっています。
これらは最近わかってきたことですので、これから新しく発見されることがまだまだあるでしょう。睡眠の最も大きな役割を一言で表すと、起きているときにはできない体のメンテナンスや修復を行っていることだと言えます。
最初の90分の眠りが重要
明け方は起きるための準備期間
健康な人の睡眠は、寝ついた後、最初に最も深いノンレム睡眠が約90分続いて、その後に短いレム睡眠が訪れます。眠っている間はノンレム睡眠とレム睡眠が4~5回繰り返し現れ、明け方になるとノンレム睡眠は浅く短くなり、レム睡眠の時間が長くなります。簡単に述べると、最初に睡眠の重要な役割を果たし、明け方は起きる準備をしていると言っても良いでしょう。しかし、健康な睡眠パターンはさまざまな要因で乱れることがあります。睡眠中に呼吸が止まることで深い眠りが妨げられる睡眠時無呼吸症候群などは治療が必要な睡眠障害です。
こうした睡眠障害だけでなく、慢性的な睡眠不足の場合でも、明け方に深い睡眠になってしまい、朝なかなか起きられないことがあります。このような慢性的な睡眠不足のことを私は「睡眠負債」という言葉で表現しています。睡眠負債は週末の寝だめ程度ではとても返済できませんし、さまざまな病気のリスクも高めます。
また、夜型で寝る時間が遅い人は、体温の上昇やホルモンの分泌など、起きるための生体のリズムも後ろの時間にずれてしまうことがあります。それが朝の寝起きの悪さにつながり、極端な場合は不登校にもつながります。
最も大切なことは、本人にとって必要な睡眠を確保することですが、多くの人は忙しくてそれがなかなかできません。受験生であればなおさらのことでしょう。そうなると睡眠のどの部分を大切にするかという話になります。苦肉の策で、根本解決ではありませんが、睡眠時間が限られているなら、睡眠の重要な役割の大部分を占める最初の深い睡眠をいかに確保するかが大切になります。他の部分の睡眠も当然大切ですが、最初の90分は睡眠に欠かせない最大基礎です。私は「黄金の90分」、「眠りのゴールデンタイム」と呼んでいます。
本当に眠いときは思い切って90分だけ眠る
体温の変化と脳のスイッチが良い睡眠に誘う
翌日のテストのために徹夜で勉強した経験のある受験生もいるかもしれませんが、無理に起きていても、能率は上がらず、記憶の定着にも良くはありません。大学入試は一夜漬けで対応できるテストではなく日々の積み重ねが大切なものですので、健康な睡眠は欠かせません。
ただ、明日までにどうしても勉強をしなくてはいけないが眠くて辛いという場合もあるでしょう。そのときには、無理に起き続けて勉強をするよりも、90分だけ眠るのも一つの方法です。深い睡眠をとることで、ある程度のリフレッシュができます。睡眠時間を削って勉強をするというのは明らかな間違いです。
睡眠は多くのものに影響を受けます。温度、湿度、照明などの環境面に加えて、悩み事、心配事などの心理面や体の状態なども影響します。逆に言えば、睡眠の質を上げるための手段もいろいろな方法が考えられるということです。なかでも体温は非常に重要です。体の中の体温が下がると人間は眠くなります。深部体温は、昼間が高くて夜間は低くなります。夜間には、深部体温を下げるために皮膚、特に手足から熱を放散します。深部体温は皮膚の温度よりも最大で2℃くらい高いのですが、夜になると皮膚温が上がって熱が出ていき、深部体温と皮膚温の差が小さくなります。この温度差が小さくなると眠くなることが実験で明らかになっています。これは入浴をうまく利用すれば、入眠に最適なタイミングが得られることを示しています。入浴をすると体温は上がり、体は体温を下げようとしますが、元の体温に戻るには90分ぐらいかかります。体温が元に戻ってもそれで終わりではなく、少し尾を引くので入浴前の状態よりも体温が下がります。そのタイミングで眠りに入ると早く寝つけて、さらに深い睡眠が得られることがわかっています。逆に、入浴直後は深部体温が高いため、入眠は妨げられます。
それから、私は「脳のスイッチ」と言っていますが、オンとオフのメリハリをつけることも効果的です。寝る前にはできるだけ頭を使わず、オフの状態にすると寝つきが良くなります。受験生は一生懸命に頭を使っているのでオンの状態にあり、すぐに眠りに入るのは難しいこともあります。オフの状態にするための方法としては、寝る前に軽いストレッチをする、リラックスできる本を読む、などが考えられます。ただ、睡眠には個人差があります。すぐに寝つける人は、寝る前に無理に何かをする必要はありません。
良い目覚めは良い睡眠につながる
光を浴びると体が朝だと認識する
睡眠の質を上げるために、覚醒の質を上げることも重要です。起きているときの行動習慣は睡眠の質に影響します。睡眠と覚醒は表裏一体なのです。
良い目覚めのためには、朝の光を浴びて体に朝だと認識させる必要があります。太陽の光を浴びると、メラトニン(体内リズムを整え、眠りを推進させるホルモン)の分泌が抑制されます。また、人間の体内時計は24時間よりも少し長いため、地球のリズムに同調して、24時間で生活するためには朝のリセットが必要です。リセットという意味では、午前中に太陽の光を浴びることに加え、朝ご飯をしっかりとることも大切です。
近年の研究で、人間の網膜には視覚とは別に光を感知する受容体があり、短い波長の光に反応することがわかってきました。色で言うとブルーです。ブルーは気分や活動性を上げるので、昼間には必要ですが、睡眠のためには夜は浴びない方が良いでしょう。蛍光灯や一般的なLEDによる照明はブルーの波長が強いことが知られています。入眠前の照明は暖色系の明かりの方が、睡眠への影響が少ないためおすすめです。
勉強中の睡魔への対処法
場合によっては睡眠障害を疑ってみる

受験生であれば、自習中や授業中に急な睡魔に襲われることもあるでしょう。そのときは、良い眠りを得るための方法と反対のことをすれば良いのです。体温が下がればよく寝られると説明しましたが、その逆で体の深部を温めるために温かい味噌汁や熱めのお茶を飲むことや、皮膚の表面を冷やすために冷たい水で顔や手を洗うことなどは一定の効果があるでしょう。
また、逆説的ですが、眠いときは睡眠欲求が高まっていますので、そのときに眠れば質の良い睡眠が得られます。そのため、条件が許せば昼寝をするのも有効です。まず眠気をとってしまうのです。夜間であれば前述のように90分だけ睡眠をとる方法もありますが、昼寝は30分、長くても1時間が推奨されています。
ただし、どの方法も根本的な解決策ではありません。最も大切なことは、睡眠は起きているときのパフォーマンスを最大限活かすための生理機能だということです。そのための時間をきちんと確保しなくてはなりません。ただ、受験生のように時間が限られるような場合は、正しい知識に基づいて効率の良い睡眠をとることが大切です。特に最初の深い睡眠は確保してください。睡眠については誤った知識が氾濫していますので、できるだけ正しい知識で自分の睡眠を客観的に見て、誤った認識、生活習慣、行動を改めていくようにしてください。
受験生の場合、模試や入試の前日で緊張して寝つけないこともあると思います。その場合は、寝られなくても良いので体を横にしてあまり考えないようにすることです。もちろん、それだけでは睡眠の役割の一部しか果たせませんが、こういった状態が毎日続くのでなければ、この方法で乗り切れることが多いと思います。試験や大事なイベントの前に寝られないのは正常な生体反応です。むしろ、焦って普段しないことをする方がリスクとなりますので、体の休息に努める方が良いでしょう。横になったまま、翌日の試験がうまくいくようなイメージトレーニングをするのも一つの対処法です。
保護者の皆さんに知っておいていただきたいのは、受験生のような若年層でも睡眠障害があることです。いびきは睡眠時無呼吸症候群の危険信号ですし、寝ても疲れがとれなかったり、学校での居眠りを指摘されたりしたときは睡眠障害を疑ってみてください。昼間の生活に支障が出るような場合は治療が必要です。