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Family Academy受験勉強は人生最大の試練と思って全エネルギーを投入すべきです (2021栄冠めざしてFamilyより)

今年1月に初めて実施された大学入学共通テストは、これまで行われてきた大学入試センター試験と比べ、知識の暗記のみで対応できる問題が減少し、より理解の本質を問う問題が出題される傾向が強く見られました。これから大学入試に臨む高校生には、知識・解法パターンの暗記や活用にとどまらず、なぜそうなるのかという本質的な理解に至る深い学習が求められます。そこで著書『勉強の哲学 来たるべきバカのために』の中で、深い勉強・本当の勉強の重要性を示しながら、「ツッコミとボケ」、「勉強を深めることで、来たるべきバカに変身する」など独特の表現で勉強の意義を説く、立命館大学大学院先端総合学術研究科 千葉雅也教授にお話をうかがいました。

千葉雅也教授

立命館大学大学院
先端総合学術研究科

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(まさ)

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P R O F I L E
1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部を卒業し、パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。哲学/表象文化論を専攻。フランス現代思想の研究と、美術・文学・ファッションなどの批評を連関させて行う。現在は、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(文藝春秋)、『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)がある。
  • 所属、役職などはすべて取材時のものです。

深い勉強は今までの価値観を変える

勉強とは、これまでの自分を破壊する自己破壊でもあります。つまり、特定の価値観によって固まってしまった今の自分を破壊して、新たな自分になるための行為が勉強です。今までの自分の生き方が強く揺さぶられたり、価値観が変わってしまったりするような強い経験をするのが本当の勉強です。今までの生活感覚そのままで、知識やできることが少し増える程度では、まだ甘い勉強だと言わざるを得ません。例えると、辛い冒険を乗り越えたその先で人は強くなることにも似ています。勉強もそうした試練の一つで、それを乗り越えることで、これまで見えなかった風景が見えるようになります。それが勉強のすごさです。さらに言えば、学問につながる勉強だと言っても良いでしょう。

大学進学とは、本来は学問をするためだったはずですが、最近は一部に誤解が見られます。もし、知のテーマパークにでも行くようなイメージで大学に入って、負荷なく楽しく学ぶことを求めているのであればそれは間違いです。大学は、学生がこれまでとはまったく異なる価値観に出会って、今までの自分がいかに狭い世界にいたのか、ものの見方がいかに狭かったのかということに気づき、愕然としてショックを受ける場所でなくてはいけません。特に高校生には、受験勉強をして大学に入るのは学問をするためだということを分かっていてほしいと思います。

学問と受験勉強はつながっています。大学受験さえ何とか突破すれば良いという考え方もあるかもしれませんが、それでは大学の授業との落差にとまどうことになると思います。高校で勉強している段階から、すでに学問的態度に近いような感覚で学んでいく必要があります。こうした学問につながる勉強が深い勉強、価値観を変える勉強だと言えます。それは高校の勉強だけではなく、小学校、中学校の勉強からもつながっているものだと思います。

深い勉強によって、より多くのことが楽しくなる

勉強をすることで人は変化していきますが、ステップアップしていくような単純な成長とはやや異なります。言わば、脱皮とも言えるような変化です。その変化によって得られるのは「より多くの物事が楽しくなる」ことです。たとえば、これまでJ-POPしか聞いていなかった人がクラシック音楽のおもしろさが分かるようになるとか、あるいはクラシック音楽しか認めないと凝り固まっていた人がロックを聴くようになったり、ゲーム好きになったりするなど、新たな分野に興味を広げれば、楽しめること、遊べることが増えるのです。そうなるといろいろなことが肯定できるようになり、物事をポジティブに受け止められるようになります。楽しめること、知っていることは仕事につながる可能性もありますので、勉強によって生活の手段が広がることにもつながります。このように、勉強をして楽しめることが増えることは実利的にも意味があるのです。

考え方の2つの軸、縦のツッコミ=アイロニー

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』の中では物事を考える際、軸を2つ立てて考える方法を示しています。1つは縦軸で本の中ではツッコミまたはアイロニーと言っています。もう1つが横軸でボケあるいはユーモアと言っています。

縦軸では、周りの人たちが当然だと思っていることを疑い、その根拠は何か、本当にそうなのかと批判します。それはツッコミを入れることと同じです。通常は多くの人が疑いを持たないことでも、実は皆、深く考えないで同じ方向を向いているだけということがあります。そこで自分はそこから少し浮くようにして、距離を取って状況を見るのです。

たとえば、筋トレをしている人に「なぜ筋トレをするのか」ということを聞いた時、相手が健康になりたいからと答えるとします。そうするとさらに「なぜ健康になりたいのか」を問います。それを問われた相手は、健康になることは良いことに決まっていると答えるかもしれません。でも、本当に健康になりたいのであれば、筋トレ以外の他の行動もすべて健康に良い行動をしているはずですが、高カロリーの食事を取るなど、人は一般的には必ずしも健康に良いことだけをしている訳ではありません。そのため、そこまで理由や根拠を問われると相手は答えに窮してしまいます。根拠を問われて根拠1を出しても、その根拠1に対してさらにツッコミがかけられると根拠2が出てきます。その根拠2にツッコミをかけるとさらに根拠3が出てきますが、人間はこの辺りからそれ以上のことはなかなか考えられなくなってきます。つまり、ある程度のところで思考停止しているのです。

ツッコミはあらゆることに対して可能で、原理的には無限に可能です。しかし、あまりやり過ぎてもダメなのです。人間が生活していく上で重要なのは、ある程度ツッコミをしたとしても途中で止めるということです。

考え方の2つの軸、横のボケ=ユーモア

アイロニーのように物事を疑って批判する縦方向の思考ではなく、横方向の思考をするのがボケ=ユーモアです。取りあえず疑うことはしないで、もっと別の価値観や角度から物事を捉え、見方をずらすのです。

たとえば、周りの友達は皆サッカーをやっているが、自分はあまり得意ではないし運動が苦手なので、そうした周囲の環境にうまく乗れないとします。その時に自分が好きな音楽の視点からサッカーを見ると、人々がリズミカルに動いていて、考えようによっては体で奏でる音楽みたいなものだと捉えたとします。こうなるとサッカーをやってみようという気持ちも出てきて、周りの友達とは少し違う価値観でサッカーをすることになります。球技としてのサッカーではなく、フィールドを走り回るリズミカルな運動としてのサッカーを楽しむことができます。これは「サッカーとは音楽だ」と考え方をずらしているのです。これがボケでありユーモアです。

この他、サッカーを音楽以外のものに例えることもできます。料理、落語、美術、ファッションなど自分が知っているどんなことにも無限に例えられます。知っているものを増やしていけば、ものの見方はより多角的になっていきます。それゆえ横軸を広げていく時にはいろいろなことを知っている必要があります。学校で歴史や生物などにおいて、出来事や名前など多くのことを覚えさせられますが、実は横軸の見方を広げる練習にもなっていて、とても大事なことをしているのです。

無限に続く思考を有限化して仮固定する

縦方向に追究していく方法(ツッコミ=アイロニー)と横方向にずらす方法(ボケ=ユーモア)を使うことで、周りの価値観に流されないで物事を多面的により深く捉えることができます。ただし、縦方向も横方向も思考を続けていくと、どこまで行ってもきりがありません。しかし、人間の人生は有限です。無限に物事を考え続けることはできません。そのため、縦方向も横方向もある程度のところで有限化されて途中で止まります。この時、本人は意識をして有限化しているつもりでも半分は無自覚なのです。有限化には、その人のもともと持っている資質なども影響しているからです。この辺りのことは『勉強の哲学 来るべきバカのために』で詳しく説明していますが、ここではひとまず原理的には無限化できるというメカニズムを知っておいてください。

ツッコミからボケに折り返し、有限化によってあるところで思考が止まります。その過程では、信頼できる意見を比較して考えていき、ベストではなくベターな考えを暫定的に答えとして仮固定することが必要です。そして、また新しい情報を得て比較した時に仮固定された考えが少し変わるということが起きます。仮固定は変化するのです。ある時に考えがガラリと変わるような決断ではなく、仮固定によって思考を中断し、ずっと続いていくプロセスの中で、いろいろな考えを比較して仮固定を更新し続けていくのです。

こうしてボケとツッコミによって多面的に複雑に考えることは、「小賢しく」なることだとも言えるでしょう。ここではあえてネガティブに小賢しいという表現をしていますが、勉強するということは小賢しくなって周りから浮くことなのです。浮いてもいい、小賢しくなってもいいから勉強しようというのが私からのメッセージです。なぜなら浮いている段階はまだ第二段階で、その先には第三段階があるからです。第三段階にまで至ると、ボケもツッコミも展開できるポテンシャルを持っていながら、小賢しさも出さないで、周りに溶け込むことができる「来たるべきバカ」となります。勉強を続けていると、あるとき、この段階に来ていると気づくときがあるかもしれません。

受験勉強は人生最大の試練、勉強を身近なものにすることが大事

受験生に伝えたいことは、受験勉強は人生最大の試練だと思って全エネルギーを投入すべきだということです。仮にうまくいかなくても、そこで得られるものは非常に大きいからです。また、入試問題には、社会や文化、科学の現代的なトピックが出題されやすいので、新書など読みやすい入門書をたくさん読むことをお薦めします。それに加えて、自分の興味があることはノートアプリなどのデジタルツールを使ってどんどん蓄積し、自分なりのデータベースを作って、音楽、アート、歴史、政治などを自分なりにつなげてみると良いでしょう。博覧強記になる必要はありませんが、自分なりに作った教養のデータベースは受験勉強の結果に直結すると思います。

保護者にも大切な役割があります。読書をして子どもと現代の文化や社会の問題についてディスカッションをしてください。そのための本の購入は投資でもあるのです。そして買ってきた本は子どもの手の届くところに置いておき、子どもと本についての話題を共有してください。本を買う際に、全部を読まなくてはいけないと考えて少なく買うよりも、つまみ食い的な読み方でも良いので多く買った方がいいと思います。これは重要な環境づくりです。そして、子どもとの会話の中では本のタイトルと著者を話題に上らせてください。こうして大人の文化的な会話の中に子どもをどんどん巻き込んでいくことが、深い勉強を進める上での保護者の大切な役割だと言えるでしょう。

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