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2024/02/26公開
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高等教育エッセイ Vol.04「大学入試とIR-
カリフォルニア大学の入試改革を事例に」 (後編)

九州大学 木村拓也 先生
執筆者プロフィール
九州大学大学院 人間環境学研究院 教育社会計画学講座(教育学部)教授。独立行政法人 大学入試センター研究開発部 高大接続部門 教授(クロスアポイントメント)。2005年 東京大学大学院教育学研究科 修士課程修了。2007年東北大学大学院教育情報学教育部 博士後期課程中退。博士(教育学)。京都大学助教、長崎大学助教・准教授、九州大学准教授を経て、2022年1月から現職。一般社団法人 大学アドミッション専門職協会理事長。専門は、教育社会学、教育計画論。
(大学入試とIR-カリフォルニア大学の入試改革を事例に(前編)はこちら)
6.STTF報告書で矛盾を生じさせたロジック
では、標準テスト・タスクフォース(STTF)によって、前項で見たような追跡調査結果を得たカリフォルニア大学が、何故、SAT/ACTからの離脱を宣言するという、一見矛盾とも思える結論を導き出したのかについて確認していきたい。
まず、報告書第4章の冒頭で標準テストの使用を巡る懸念として最初に述べられるのは、「人種、民族、階級による入学者の格差が大きい」という、第3章とは真逆の指摘である。続いてカレッジボードが示すグラフを読み解き、2016年のカリフォルニア州の12年生では58.7%と6割近くの学生がURMsであったのに対して、実際にSATやACTのスコアを提出してカリフォルニア大学に入学した学生は2019年で僅か26%に過ぎないと指摘する。白人は、カリフォルニア州の高校生人口の25.2%を占め、SATやACTのスコア保持のカリフォルニア大学の合格者の22.5%を占めている。アジア系は、カリフォルニア州の11.9%を占め、SATやACTのスコア保持のカリフォルニア大学の合格者の31.2%を占めている。このことを挙げて、「たとえ、URMsのアフリカ系、ラテン系、ネイティブがカリフォルニア大学新入生の1/3を占める割合であったとしても、標準テストであるSATやACTのテストスコアを提出するという行為を大学受験において行うことそのものが、カリフォルニア大学へのパイプラインの各段階での格差拡大につながっており、不公平感の一因になっている」と述べている。わかりやすくいうと、そもそもURMsの高校生はSATやACTのスコアを持っていない(受験していない)ために、カリフォルニア大学へ入学する競争から除外されており、それが格差を助長するということに他ならない。そして更に踏み込んで、「相関関係が因果関係と混同されるべきではない」とし、「州内高校生人口にURMsの生徒が多いにもかかわらず、カリフォルニア大学の入学者にURMsの学生が少ないことは、URMsの生徒の学力が低いからカリフォルニア大学の入学者が少ないという単純な因果関係ではない」と強調していることは注目に値する。その背景として指摘しているのは、A-Gコースへのアクセスについて、履修者やその修了者が減少の一途であり、カリフォルニア大学の入学者選抜の俎上に載せる段階で既に格差が生じているということである。
次の懸念事項として指摘しているのが、カリフォルニア州の高校生の8割がスペイン語を話す家庭の出身者であるという事実を提示した上で、「標準テストでは、これらの生徒の能力を過小評価している可能性が高い」ということである。ただし、この過小評価については、これまで付されていた研究エビデンスが存在しない。そして、この推論が、「第一言語が英語でない生徒に対して、従来の標準化されたテストではなく、パフォーマンスに基づいたテストを使用することを推奨」し、STTFの勧告である「パフォーマンスタイプの評価を組み込んだ新しい評価尺度を開発する」という提言につながっていくのである。
次に、「不当な制度に置かれている」とされる学生数を割り出す作業を行なっている。2018年の12年生の卒業生のうち、59.09%がURMsであるが、カリフォルニア大学の入学者は37.03%に留まり、その差は約22%ptである。「機会格差の約75%が、入学前の人種・階級間の不平等に根ざした要因に起因している」という仮説に立ち、残りの25%が同大学の入学システムの要因であり、事象は独立したものとして確率の積を求めると(0.22×0.25=0.055)となる。すなわち、2018年の同大学全体の入学者数217,036人の5.5%に当たる11,937人の学生に、不公平感を与える「不当な制度」であると分析している。このように規模を推計していくことで、この問題がいかに同大学にとって深刻で影響力の大きい問題であるかを印象付けていく。
こうしてSTTFの報告書は、第3章の論旨とは全く異なる側面に注目し論理展開をしていくが、更に興味深いのは、「カリフォルニア大学での入試方針変更の決定は、データや経験的知見のみに基づいて行われるべきではない」と述べ、暗に第3章で行なった追跡調査の結果「のみ」で議論を進めるべきではない、との見解を示していることである。ここが本報告書の大きなハイライトであることは間違いない。追跡調査がいかに不備のあるものだとしても、そのデータに基づいて判断すべきではないと書かれていることは、政治的な次元にこうした問題を移しかえることを意味する。
加えて、最終的な結論を導き出すのにもっとも重要なデータは、STTF外での検証データからエビデンスとして外挿されたものであることにも注目したい。STTFの外部といっても、同じカリフォルニア大学バークレー校高等教育センターの研究論文(Bleemer, 2018)である。「URMsの生徒とSATで下位25%にある高校の生徒は、卒業率が30%pt高く、より競争力のある大学に進学した結果、教育達成度(学位取得の観点で)が低下するという『能力のミスマッチ』に反論する証拠を提供している」と述べている箇所を引用している。この引用によって、能力の低い学生が競争の激しい同カリフォルニア大学の環境でうまくいくはずが無いという懸念を、払拭することを狙っているかのようである。これは前回2001年時の、学力を重視した方向に差し戻そうとした、民間出身の同大学理事会議長J.J. ムーアズ氏の論調に対する布石であると考えるのが妥当である。この引用を受けて、STTFの報告書では、「(同大学のような)より選別性の高い教育機関における、高校時代に同様の準備をし、同じ境遇にあったであろうURMsの生徒であった学生と、SATで下位25%にある高校の生徒であった学生との大学卒業率が、(同大学とは別の)選別性の低い教育機関における両学生の大学卒業率を大幅に上回っているという豊富な証拠がある。これはURMsの学位取得へのアクセスにおける歴史的な不公平を断ち切るものである」と述べられている。つまりは、様々な人に機会を与えることこそが、能力を伸ばす最大限の施策であるという含意である。
この議論の展開が妥当であるか否かは別にして、第3章で示した入学者のみのデータによる追跡研究は、当たり前だが、入学者の学内データでしか分析のやりようがないという限界を指摘することができるだろう。このことから第4章の論理が第3章の結論に対して反論するという構図が立ち現れる。象徴的なのは、STTFメンバーの懸念として、以下のことが記述されていたことである。即ち、「テストが何を測るのかについての(例えば、妥当性に関するようなテスト理論の)議論は、その含意することがあまりに限定的であるため、私たちの教育システムの誤りについて考えるとき、社会がより注力すべき、より根本的な社会的議論から、私たちの注意をそらしてしまうのではないかと、非常に懸念している」と述べ、第3章の追跡調査部分の見解の視野の狭さを指摘している。標準テストのスコアについて、学内の入学者データのみで議論をすることが、視野狭窄でテクニカルな焦点化された議論に過ぎない、というラベリングと捉えられよう。同様の指摘は、他にも見られ、「カリフォルニア大学の入学試験で標準テストにどのような重みを与えるべきかという手立ての問題に留めてしまい、高等教育の機会や人種や階級に応じた不均衡なアクセスについての思慮深い議論を妨げてしまうとすれば悲劇である」とも述べられている。
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